憂暮れのムラサキ

夜にポツリと日々のつらつらを書き綴る村崎の戯言。全部あくまで個人の見解。

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続く日常と、その中で…(再掲)

もう7月に差し掛かろうという夜。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 

2021年も、もう半年経った街並みは 何故か変わりなくスーツの方も居れば飲食店の方も、しっかりお仕事されていました。

 

人々が支え合って世の中が動いているということを、知っているつもりでも、どこかでそれを当たり前の事として気にも留めないでいた自分が浮き彫りになった気がしました。

皆さんの日常の中で、すれ違う人の顔やそこにある風景の変化に気がつける人は、どのくらい居るんでしょうか。


思い出とともに有る場所は、きっと無くなったら気がつくんじゃないかとは、思いますが、通勤通学の何気ない、建物とか車窓から見える物だったりに目を向けて、変化が分かるんでしょうか?

結局は、同じ活動圏内でベルトコンベアーの様に日常を消化していたんじゃないかと、僕は知らされたような気がしました。

 

僕が日々心血を注ぐ演劇には、そういった日々の一コマの一等特別な”普通”を切り取ることもできます。
ただ、こういった日常を見つめることのできる目、その時の空気や景色を記憶する感受性などを磨くことを怠ってた自分には、そういった新鮮な感動を創り出せなくなってたのかなと思いました。

 

日々に対する、諦めや苦しみ、そういった悲嘆に暮れた心象が僕の作品には目立ちますが、そこに在るありふれた日常がそれを下支えするよう心掛けてきた事でした。
だからこそ、自分のくすみを感じさせられて、本当に愕然としてしまいました。

 

新たな局面で齷齪する心の余裕の無さに加えて、改めて自分の見つめる世界への鮮明さを取り戻さねばと、引き締まる出来事でした。