憂暮れのムラサキ

夜にポツリと日々のつらつらを書き綴る村崎の戯言。全部あくまで個人の見解。

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進む勇気も、逃げる覚悟もないまま…(再掲)

連続更新、今日も頑張って綴って行きます。

 

僕は日頃から街を歩んでは思考を巡らせて生きていて、これは職業病と呼ぶより、僕の持つ疾患の様な物でして…

 

本日はコレについて…

 

停滞感と、それを拭えないでいる僕ら

最近、夢を見ることがめっぽう少なくなって来ている方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。

僕は、そうした実感を繊細に感じてしまう質だったようで、その時が来たのは高校の二年生のときだったと思います。皆さんはいつ頃から夢を見なくなったか、思い出すことができますか?

 

では、逆に夢を見ることを諦めたのはいつでしょうか?

 

今日の命題として話すのは、現実で思い描く夢についてです。

 

僕が夢を思い描くとをやめるのは、演劇界を諦める時と決めていますが、それは僕が放蕩な生活を送っているからだからではなく、夢を見なくなってしまったら僕の人生における創作の意義も意味も無くなっちゃうんじゃないかなって思ってるんです。

 

さて、では諦めを決めた理由についてはどうでしょうか?

 

仕方ない理由、何かの挫折、有象無象のワケがあったことでしょうが、仮に立ち向かったのなら、その結果に関わらず、区切りがついているはず…

その筈なんですが、未練や後悔を今も引きずっている人がたまに目につく。

 

きっと心の中で、進んで挑戦しなかった自分、逃げた自分、それをひた隠す自分の隙間で窮屈な本心がキリキリ傷んでるんでしょうね。

こうした状況に陥ったまま、現状を目の当たりに力なく明日を迎えるしか無くなって死んだ目で世間へと溶けていくのでしょう。

 

夢を見る事が如何に難しいかは、見続けようと齷齪する僕には痛いほど分かっていますが、夢を諦めることも相当難しいと思います。

 

ただ、なにかを後悔しながら生きている(そう見える)人が多くありませんか?

 

そうした時に勇気を持ってその道を歩むか、それともその場から去る覚悟を決めるのか。

 

それを自分は持てるだろうかと深く考えました。

 

今日はこのへんで。

 

では、また。