見えない壁がいつもそこにはあった(再掲)
こんばんは、皆さん。
夜は、物思いに耽る事が多くなって夜更しが捗ってしまいますね、いかんいかん。
そんな今日の物思いを一つ聞いてください。
敷かれたレールも無く。
ただ、はみ出す事も許されず。
僕の四半世紀の生涯は、いつの間にか枠組みの外までやってきてしまっていましたが、それでも19になるまでは、親の期待を背負った真っ当な青年でした。
あからさまな型はめを受ける訳でもないが、逐一きっちり境界線の内へと突き返されては来た青春だったと、今になって思います。
「放任主義で育ててきたから」なんて親の口からよく周りには言ってましたが、本当に放任主義かと言われれば、一張一弛で放たれてみたり、縛りつけてみたりと、高低差の激しい状態でした。
勿論、親には感謝している部分が殆どですが、今になって育て方の後悔なんぞボヤかれた日には、目から火が出る位の跋の悪さを感じてしまいます。
それでも、大学が決まって、県外に出てきて…
一人の時間がより一層増えてきて、そうして選択の機会も増えました。そうして数々の失敗を経て沢山の経験を得ました。そこではたと気が付いたんですよね、この世の中には意識せず歩けばそこかしこで見えない壁が僕らを誘導してるんだって事に。
だからこそ、穿った見方だとしても立ち止まって考えて、歩きながらも考えて、寝ても覚めても、思考をする事を辞めない様にしてきました。今は少しだけ不信感も折り合いが付き、少しは頭を休める事を覚えましたが、大学の前半2年は…慢性的に頭痛に悩まされるくらい頭の中ぐっちゃぐちゃになってました。
だからなのか、その当時のメモ書きを見返すと頭が痛む事もありましたw
それでも、やはり思考する事は辞められないです。何度も何度も立ち返って疑問や課題点を見つめ直す事で、自分が如何に誘導されず路を選ぶかをいつも考えています。
そうした苦悩の中で、僕は日々を浪費していて、それでも何かを生み出したくて死物狂いになってて、藻掻いても足掻いても生きてるんだって事を辞めないでいられるのは、やっぱり、青年だった僕が感じ続けた日々の上滑り感が今に続いているんだなって思いました。
だからって訳では無いんですが、上滑りする様な日々を生きる人々に向けて文章を書いているのかなって改めて思いました。
それでは、また。