憂暮れのムラサキ

夜にポツリと日々のつらつらを書き綴る村崎の戯言。全部あくまで個人の見解。

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『雨垂れに星』-フラクタル 外伝-

…あの夏祭りの十数年前。三人の少年少女が出会うよりも遥か昔の話。

 

 汽車の動き出す音が遠く過ぎ去っていく。今日はここ、清条ヶ丘の星祭りの日だ。だが、生憎と乗客が駅に降り立った頃から小雨が降りだしたのだった。空は雨曇りで、一面灰がかった雨雲が敷き詰められていた。改札に向けて人々が駆け足に向かっていく中、ホームをトボトボとした歩みで一人の青年が歩いていた。

 彼の家は、父が遺物研究で有名な機関の副局長、母は大学で民間伝承を研究している。そんな両親の影響を受け、彼もまた伝承や遺物に惹かれる人間の一人であった。そして、この星祭りについての”ある噂”を耳にして遠路はるばる新都からやってきた。その噂というのが、「星夜の神隠」と呼ばれる伝承で、なんでも夜の神に選ばれた少女が夜な夜な行方をくらまし、遂には帰らなくなるというのだ。それを事実と捉え、この地域にはそれを畏敬の対象とし、満天の星の夜に満月が上がる日に孤独を憂う神の心を鎮める儀式として、供物と舞を奉納する祭りをひらいていたそうだ。

 

「雨、ですか。止みますかねぇ・・・」

 

 青年はそういうと丸くなるほどに膨れた背嚢をドカリッと下ろし、その中から雨具を引っ張り出した。それに連なって諸々辺りに散らかったが、何食わぬ顔で雨合羽の袖に手を通してゆく。散らばった荷物の中には、ダウジングの道具やコンパス、六分儀に見慣れない道具の数々があった。彼はYシャツの襟を正すと、雨合羽のジッパーを顎元まで引っ張り上げた。それから生成りのスラックスの裾を折り上げると、そこらに散乱した道具たちをまた乱雑に突っ込んで、雨の中へと走っていった。雨は一層、その強さを増していた。

 

 

 所変わり、祭りの会場へと続く大通りにはパーカーのフードを目深に被ったずぶ濡れの少女が立っていた。星見の人々の流れに逆らうように、或いは家路を急ぐ戦士の波に流されまいと立ち塞ぐように、彼女はそこにいた。誰もが見向きもせず、ただ無常に、無表情に彼女の肩にぶつかっていく。彼女はそのたびにバランスを崩し右へ左へと揺られていた。白いパーカーが湿って、彼女の肌にペッタリとくっついていた。彼女の長い髪を雨が伝い、ぽたぽたと地面に落ちている。今、彼女が泣いていようとも誰も気づく事など無い程に濡れた姿で、そこに突っ立っていた。

 

「誰が私を見ただろうか。こんなにも濡れ鼠で立っていて、私の姿はどの瞳にもないではないか。」

 

 彼女は笑っていた。どこか物悲しそうに、だが確かに笑っていたのだ。

 彼女がふと振り返ると、雨天による祭の開催時間延期のアナウンスが遠くから徐々に重なり、近づいてくるのが分かった。雨天中止となるかに思えた祭りは遠く山向こうの雲の切れ間からのぞく星々に救いを見出したのだろう。

 

「星なんか嫌いだ。私を群れて見下すのだから・・・月の方が余程いいよ」

 

 そう言ってため息をついた彼女の目の前に、雨合羽の青年が遠くの空を見て惚けて立っていた。彼女は少し肩を跳ねさせると、思わず青年と顔を見合わせてしまう。青年も、まるで”気が付かなかった”と言わんばかりに目をパチクリさせている様子だった。気まずい空気が流れる両者。そこで口を開いたのは青年だった。

 

「ずぶ濡れじゃないか、君。」

 

 彼女は咄嗟の事で、口を噤み「まあ・・・」とだけ口にした。青年は何やら大仰な背嚢を前へ担ぎ直すと、タオルを彼女に手渡してきた。彼女は少し渋るように手を出すが、青年はきょとんとしたままで一向にその手を引かないので、受け取る他なさそうだと彼女はサッとタオルを奪い取っていった。パーカーのフードで隠れていた彼女の黒い髪が露になる。彼女は前に俯くと申し訳なさそうな顔を青年に向けつつ髪を拭い始めた。 一方で青年はというと、また少女をほったらかしで遠くの山際に見える星々を眺めていた。しばらくすると、彼女の手が止まり、青年がまた呆けているのに気が付くとムッとした表情を浮かべた。そして、腹いせの如く勢いよく頭を振り上げた。

 すると、彼女の髪は綺麗に広がり拭い残された雨粒がキラキラと広がった。青年の視界に突如として、彼女の悪戯な微笑みと、吸い込まれそうな程の宵闇色の瞳が移り込んできた。その横顔には、いくら無関心だった青年とはいえ息を呑むのだった。青年がハッと気づくと彼女が得意げにこちらを眺めていた。

 

「今日は、誰も彼もが空を見上げてばかりでつまらないんだよ、アンタも。普段は俯いて、空なんか見向きもしないのにさ。たまには前向けっつーの。」

 

 彼女は、青年に向かうと不思議と言葉が口をついて出てきた。すると、青年は申し訳なさげに口を開く。

 

「ごめんなさい。今日は特別な日だって聞いたから、つい、ね。」

「星なんて嫌い。」

 

 青年の言葉に、彼女はむきになって口を開いた。青年は少し戸惑った面持ちで、こう続ける。

 

「星は、夜の名脇役なんですよ?それから月が主役で・・・。」

 

 彼の声色が少し高くなり、表情も恍惚とした様相へと変わっていく。それを見る彼女の目は、不思議と青年から離せずにいた。彼の次の言葉が何なのかさえ、まるで分かっていたかのようにジッと見つめている。

 

「それで、夜がこの舞台のヒロインなんですよ。って、まるで夜が女性だって言ってるみたいに聞こえ…」

 

 青年の言葉はここで途絶える。その代わりに聞こえたのは、鼻をすするようにして漏れる彼女の声だった。青年は急な事にたじろぐと、彼女の方へと少しだけ歩み寄った。彼女は少しだけ顔を上げると、その宵闇の奥から次から次に涙が押し寄せているのが分かった。彼女はそれを隠そうと借りたタオルで顔を激しく擦った。その鼻っ面が赤くなった彼女の下手くそな笑みに、青年は少しふき出すのだった。それに釣られて彼女も少しだけ笑いが漏れた。

 

「ごめんごめん。アンタ、不思議な人だね。名前は?」

 

 彼女は、青年の名を尋ねた。

 

「僕?・・・あぁ、僕は二十木。二十木はたぎ想児そうじっていうんだ。君は?」

 

 想児が彼女に聞き返す。彼女は、ポカンと顔を見合わせると、少し悩んだ顔する。

 それから、間を置いてこう言った。

 

「私は、そうだな・・・『ニーナ』って呼んで。」

 

 想児は、何度か名前を諳んじるとふと前を向いた。遠くの方で祭りの提灯が灯る。その灯りは神社の境内に向けて駆け上っていくと境内からは祭囃子が響きだした。祭りの始まりは、いつも賑やかなのに不思議と愁いを運んでくる。ふと、脇に目をやるとそこにはタオルだけが落ちていた。彼女の姿はどこにもない、遠くどこかへ駆けて行ってしまったのだろうか。それとも、彼が見た幻覚だったんだろうか。想児にはそのどちらでも無い確信だけが残っていた。