需要人間カメレオンリップs(再掲)
僕らは、必要とされて生まれて来たんでしょうか?
どんな事を期待されて育てられたんでしょうか?
生きる中で多くの自問自答に押しつぶされそうになって
死にたい気持ちを抑えつけられて声も上げられなくなって
ただ、無情な朝日に気怠い身体を照らされて
まだ、眠たい眼を真っ赤になるまで擦って
また、期待できない世の中へと溶け出して
もう社会は崩れ去ってしまったも同然なのに
お金が無い者を搾取していくばかり
教育は、洗脳に変わったっきり
あぁ、悲しき需要人間に私はなってしまった。
必要とされている姿に変わり
必要とされている言葉を吐き
必要な事を必要なだけ得る為に
必要以上の労働をする
求められたら断れなくなった思考は
長い年月の洗脳の賜なのか
僕は思う事も、考える事も、何もかも
周りの視線に惑わされて生きているのか
あぁ、悲しき需要人間カメレオンリップs
僕らのことさ…
演劇と情報メディア(再掲)
皆様こんにちは、如何お過ごしでしたでしょうか。村崎です。
昨日は、更新サボっちゃいました。
なので、今日は割としっかりした事を綴っていこうかと思います。
さて、今回は
演劇がメディアに遅れを取りつつある現代
について…
演劇を、思想装置と考える人々がいる。こういう事を考える者は大抵が時代錯誤と罵られていたりするもので、多くの場合その内容は風刺や社会批判である。
これが有効であり、人々のエンターテイメントとしての下世話なコンテンツだった時代があった。それを小劇場ブームと呼んでた気もするが、所詮流行りの類である事には変わりなかった。
当時、爆発的に広がり、熱狂的なファンによって盛り上がった小劇場演劇は、情報メディアを出し抜くように社会を皮肉り、時代に斜に切り込んでいった。
しかし、それも今や昔の話だ。
情報メディアがネットワークを味方につけた事で事態は急転直下、天地を返す如く変わった。演劇が、古からの"伝統"を重んじる余りにニュースや新聞は愚か、週刊誌のゴシップよりも二手も三手も遅れをとってしまう事となったのだ。
演劇が社会を皮肉る事においてのスピード感と勘は、何者をも追いつかせない程の気概にこそ価値を生むと思っていたのに、今や時代や世相を切ると息巻く作品を見ても、ニュースや週刊誌の後手をとったものから、猫パンチ宜しく弱々しく世間を批判したもの、何番煎じかの評論等々、およそ見るに堪えないコンテンツになっていたりするのだから、嘲笑っても居られない。
時代を見つめる目も、それを下支えしていた知識も哲学もない。勉強などクソ喰らえなどと言わんばかりのヤンキー演劇を、これからどれ程見れば良いのだろうかと飽き飽きする事もあった。
だから、今一度よく考え、神経を研ぎ澄まし、俗な世間と歪んだ社会と醜い世界を然と凝視せよ。明らかに頭が足りないなら、遅くはない学習するんだ。そして、堂々真っ向から時代に斬り込んで行こうじゃないか。
と、まあ、ここまで言っておいても突っぱねるのが今の演劇人である。心に刻む者は刻めばいいし、跳ね除けるものは我道を究ればいい。
これは、あくまで個人的見解で弄れた私の持論でしかないのだから。
では、また。
芸術に潜む狂気(再掲)
皆様、如何お過ごしでしょうか…村崎です。
さて、本日のテーマは
創作の過程に突如として現れる狂気
芸術作品の製作過程には、常人を越える負荷がかかる場合があります。
こと、演劇においてもそれは言えることであり、芸術系にある果てしなさに分野の多さが合わさり、独特なものになっているかもしれません。
では、一体どのような時に狂気と鉢合わせてしまうのでしょうか。
それは、製作過程の第一歩として題材を決定しリサーチを始めた時からです。
どんな芸術作品であってもスタートは、無を有にするか、その有を無限大の可能性にかける事になる訳です。その作業自体に心折られていく方もいらっしゃる程で、そもそもが芸術作品を名乗るには、それ相応の対価を払って創り出したバックボーンがある事が殆どです。
ですので、いくら門戸も広く多様な作品が認められる芸術分野でも、軽率に名乗りだせる物でも無い責任がある程度ある事を理解頂きたいです。
さて、製作の一歩目から無限大な可能性の中に放り出された我々は、宇宙空間を漂う如き時間を、まず過ごす事になります。
故に、作品の輪郭を産むには超新星爆発に匹敵する労力を必要とする場合があります。コレが、そもそもの無から有を創り出す負荷で、結果そこに片足を乗せる程度の土台が築かれたのみなので、ココから様々な取捨選択をした上でその土台や、その上に乗せる作品の骨組みや肉付けが行われる訳です。
この取捨選択も、途方もない可能性と先人達が示した回答へのアンサーを擦り合わせて行く作業になります。演劇には文学、技法・技巧、演出と様々な擦り合わせの作業が必要となり、それを一個人と集団の2つの局面でほぼ同時進行に行わねばなりません。
そうした作業の先に、指標を見出し、作品の舵取りが安定したとて、狂気の沙汰は続きます。観客の視点から作品の粗を探し、演出の印象の普遍化を図り、参考文献や原典に対しての持論の整理などなど…お客様がいて成立する媒体である以上、演劇はそこまでを把握した上で作らねばなりません。
その何十億通りか分からない可能性の中で、一つの可能性をつまみ出して芸術作品は世の中に、形を成すことができます。
芸術風や芸術的といった評価が付くのを乗り越え、芸術たる作品を送り出す人々には、日夜そんな苦労があるかもしれない事を少しだけ念頭において頂ければ幸いです。
今日はこのへんで。
では、また。
越えるべき壁と超えられない背中(再掲)
追いかけたい背中、聳え立った壁
とか、カッコいいサブタイつけてみようかな。
僕は、親父の背中を追いかけるような生き方をしなかった。
常に親父は越えるべき壁として目の前に聳え立っていて、俺のやることは認められないこと続きで、いつか越える、いつか認めさせる。いつか、ぐうの音も出ないほどの洗礼された物を見せつけたいという、反発が原動力でした。
これを叶えんとして生きていたといって過言では無かった僕の反骨精神の源泉は、大学で初めて行った外部公演のお見送りにて、呆気なく枯れてしまうことになったのでした。
外へ出ると、母がすぐさま呼び寄せてきた。その傍らにいた父は僕の脚本における処女作とも言える『愛を讃える歌』について、僕が書いたのを疑われるほどに褒めて頂けてしまいました。
そう、反発する心を糧に進んできたものが、もしも呆気なくそれを失った時の事を皆さんは考えたことはあるだろうか。
もし、そうなったとき、自分でも驚くほどの浮遊感を味わう事となる。
僕自身がそうだった、というあくまで個人的見解だが、失望感と浮遊感に差異はあまり無いでしょう。
そうした感覚の中から、次の目標設定を見つけ出そうと探し始めたのが、追いかけたい背中に繋がりました。常に進化していく者、大きな事を成し遂げ逝去した者など、超えられない壁を見つけると自身が歩み続けて行く事に行き止まりを作らずに済むという結論に行き着いたんです。
追いかけたい背中を追いかけた結果、追い越したかという評価は観衆が決める物ですし、自身はそこへ挑む事をやめない限り、課題に困らないという構造が保たれるので、僕はそこへ挑む事を始めることにしました。
易い回答なのかもしれませんが、僕を突き動かす根源には常に
寺山修司、アルトー、そして新進気鋭の小劇場の演出家全てに対抗心を燃やすというのは、強く意識しています。
小さな目標を大切にする方もいらっしゃいますが、僕はジャイアントキリングを思い描くことで燃えるのかもしれませんねw
それじゃ、ここら辺で。
では、また。
老いと時の流れ(再掲)
皆さんこんばんわ。村崎逞です。
さて、本日は…
子の立場から、感じさせられた老い
幼少期から反抗期と言えるほどの反発をしてなかった僕でしたが、大学進学を機に親元を離れる事となり、遠い距離から関わる事になりました。
両親とも、万事とは行きませんがほどほどに健常で居てくれております。ただ、この帰省してる間に良くも悪くも少しずつ「老い」を感じさせられました。それ程までに、時間が過ぎていったのかと思うと少しだけ自分の気遅れを感じた。
どうも、昔のように振る舞おうと頑張ってくれる親心というものも、多少は理解できる年になって、尚更に今年の帰省は堪えました。別に何から何まで全てやってくれようとしてないのは分かりますが、逐一気遣ってやってくれた事の、その端々に粗が目立つことがあって、それを素直に伝えられない自分も相まって、息苦しい胸の内でした。
元々、空リプの如く小言で喧嘩をする一家だったのに余計にひどくなってましたw
父は元々の頭の固さをより堅牢な物にしてしまって…母は、よりおしゃべりになっていました。
老いる事により柔和になる事もあったが、老いとは客観的に感じてここまで恐ろしい物とは思いもしなかった。
少し短かったかな…
では、また。
道端の花を手折ること…(再掲)
見えてる世界は、誰として同じとは限らないのかもしれない。
ある日突然、自分と世界がズレてしまった。
そんな錯覚に蝕まれて、日々を疎外感の中で送る人々は、誰が救ってくれようかと、ただ待つばかり
誰も救うことのない僕らと、僕らを取り囲むこの世界は、どんなに期待しても、思うようにはいかないのに、世間の期待に今にも押しつぶされそうになる。
誰も救われないで生きているのに、何を期待されているのだろうか。
僕の歩む道端のあの花を手折る意味が、愛する誰かへの贈り物だったとしても…
道行く世間は、その罪を許してはくれないし
僕たちは世界を変えることができないし
アナタの明日も変わりはしないのにどうしてだろう
どうしても、この美しさを渡したかったんだ…
進む勇気も、逃げる覚悟もないまま…(再掲)
連続更新、今日も頑張って綴って行きます。
僕は日頃から街を歩んでは思考を巡らせて生きていて、これは職業病と呼ぶより、僕の持つ疾患の様な物でして…
本日はコレについて…
停滞感と、それを拭えないでいる僕ら
最近、夢を見ることがめっぽう少なくなって来ている方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
僕は、そうした実感を繊細に感じてしまう質だったようで、その時が来たのは高校の二年生のときだったと思います。皆さんはいつ頃から夢を見なくなったか、思い出すことができますか?
では、逆に夢を見ることを諦めたのはいつでしょうか?
今日の命題として話すのは、現実で思い描く夢についてです。
僕が夢を思い描くとをやめるのは、演劇界を諦める時と決めていますが、それは僕が放蕩な生活を送っているからだからではなく、夢を見なくなってしまったら僕の人生における創作の意義も意味も無くなっちゃうんじゃないかなって思ってるんです。
さて、では諦めを決めた理由についてはどうでしょうか?
仕方ない理由、何かの挫折、有象無象のワケがあったことでしょうが、仮に立ち向かったのなら、その結果に関わらず、区切りがついているはず…
その筈なんですが、未練や後悔を今も引きずっている人がたまに目につく。
きっと心の中で、進んで挑戦しなかった自分、逃げた自分、それをひた隠す自分の隙間で窮屈な本心がキリキリ傷んでるんでしょうね。
こうした状況に陥ったまま、現状を目の当たりに力なく明日を迎えるしか無くなって死んだ目で世間へと溶けていくのでしょう。
夢を見る事が如何に難しいかは、見続けようと齷齪する僕には痛いほど分かっていますが、夢を諦めることも相当難しいと思います。
ただ、なにかを後悔しながら生きている(そう見える)人が多くありませんか?
そうした時に勇気を持ってその道を歩むか、それともその場から去る覚悟を決めるのか。
それを自分は持てるだろうかと深く考えました。
今日はこのへんで。
では、また。