憂暮れのムラサキ

夜にポツリと日々のつらつらを書き綴る村崎の戯言。全部あくまで個人の見解。

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生き辛いともがく日々に、自由な夜を。(再掲)

どうも初めまして、或いはこんにちは。
そして、ページを開いていただきありがとうございます。
村崎逞(むらさき たくま)です!

前回言った通り、今回は”げんポケ”について綴ってゆこうかと思います。

生き辛い世の中に揉まれて

僕はすごく”変わっている”らしい。
確かに、振り返れば偏屈なやつだったな、とか。傾奇者だったな、などと客観視できる事もあるかもしれない。
でも、変わっているっていうのはなんだか不愉快な気持ちになる。
もちろん、この世界の中にいろんな人がいて、少数派も存在する。
だからこそ、多数派が”普通”の価値観のように扱われてしまう。
でも、そういった事で少数派が傷をつけられて良いということはないはずだ。
もちろん不勉強で、僕も少数派の方を不快にしたことがあった。
だからこそ、勉強をしようという気持ちにもなり、理解を深めることができたりした。
しかし、この世の中には一般論がやはりあって、そこについていけない者に厳しい。
ある程度の努力とは別に、結果が出なければやはりそれを評価できないのも分かるし、
そうした事を乗り越えていくことによって成長すると言われるのも分かる。

だが、その人を否定してしまって、その人の努力や苦労はどう報われるのだろうか?
僕たちは、ただでさえ生き辛い世の中で、居場所を探している。
それぞれの思い思いの夢を描いて、その夢に向かって生きている人だっている。
夢を語る事はしやすい世の中になったと思うし、実現をする人物が増えてきてる。
ただ、やはり一般論に当てはめられると駆け出しで齷齪している人たちの人権は無いに等しい。

僕たちは、生き辛い世の中のもっと生き辛い世界に閉じ込められてしまっている。

そんな時に、幻創Pocketの立ち上げを決意しました。
社会の中で大きく得体のしれない、恐怖や圧力の中にいて、自分を殺して生きている人たちがいる。
そんな人たちが、たった一晩でも心を顕にして泣き叫べる時間が、僕が思い描く”夜”の姿だった。
夜は自由になれる時間であり、夜空は精神世界を色濃く映し出すキャンバスであってほしい。
夜になるまで耐え忍んで、夜を楽しみに生きる人々を、幻想的で創造性に溢れた世界に立ち返ってもらいたい。
そうした想いで、僕は創作団体旗揚げを模索し始めたのだ。

模索を初めて一ヶ月ほどの頃。僕はふと、実家近くの小中高と通った道のことを思い出した。
僕の”夜”が芽生えた所と言ってもいいその場所に、僕の心はフラッシュバックしていた。
そういえばここで友達と夜遅くまでだべってたなあとか、ここで自転車で転んで泣きながら帰ったなあとか。
思い返すだけで思い出は溢れてきました。
そして、僕は夜の原風景と出会った。

フラクタル…そして、幻創Pocketが始まった日

旗揚げ公演は「フラクタル」という作品を描き下ろして公演をした。
三人の男女が、夏祭りの夜を、何度も、何度も繰り返すという作品。
この作品は、僕の長編構想の始まりとして長らく考えてきた話をベースに書いた。
そのせいもあってか、この作品は僕の幼少の頃から高校卒業の頃までの実話をなぞっているようにも思える。
そんな風に描こうとは思ってなかったのだが、次第によっていってしまったようだ。
その現実味もあってか、お客さんの中には涙していただける方もいた。

こうして、旗揚げの幕が下りた頃に、僕たち幻創Pocketは静かな産声を上げた。
僕たちを取り囲む世界には、まだ生き辛さを抱えてどこか遠くに行きたいともがき苦しんでいる人がいる。
きっと僕自身もそうなんだと思っているし、もしかしなくてもこれを読んでいただいた方の中にだって居るんじゃないかと思う。

そんな方々に届くよう心から願いつつ、幻創Pocketの紹介はここまで。

では、また。